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12月, 2023の投稿を表示しています

光源氏のモデル      「源融ゆかりの地」

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  嵯峨天皇の皇子・「源融」は、その生い立ちや境遇から、源氏物語の主人公・光源氏のモデルとされている内の一人です。その源融の山荘跡に建立された「清涼寺」や邸宅であった河原院跡の「渉成園 」そして、別荘であった「平等院」や七堂伽藍を建立した大阪の「太融寺」を訪れてみました。

紫式部の生涯

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  中流貴族である藤原為時の娘として生まれ、為時が花山天皇に漢学を教えた漢詩人であったことから、幼少の頃より漢文を読みこなす才女であった。 彼女が執筆した『源氏物語』の評判を聞いた藤原道長に召し出され、道長の娘で一条天皇中宮の彰子に仕え、その間に世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を書き上げました。 そのような紫式部が過ごした邸宅趾や、娘時代の約2年を父と暮らした越前市、また京に戻り源氏物語の構想を練った石山寺、氏神と崇めた大原野神社、そして晩年過ごしたとされる雲林院などの映像とともに紫式部の生涯を追ってみました。

歌枕を訪ねて(24)     「竜田川・三室山」

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  小倉百人一首第十七番歌・在原業平朝臣が詠んだ歌の「竜田川」と、第六十九番歌・能因法師の「三室山」を訪ねました。 この二つの歌枕は同じ所に位置し、三室山のふもとを流れる竜田川は、古くから紅葉の名所として多くの和歌に登場します。また、三室山は桜の名所としても知られ、特に満開の桜に覆われた姿は見事のようです。 ただ、三室山の落ち葉が竜田川の川面を、帯のように覆い尽くすことはないようです。在原業平朝臣は、屏風絵に描かれた紅葉の流れる竜田川を想像して詠んだのと同じように、能因法師もイメージを膨らまして詠んだと思われます。 BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより          元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/ 

歌枕を訪ねて(23)   「志賀越え・比叡山」

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  小倉百人一首第三十二番歌・春道列樹が詠んだ歌の「志賀越え」と、第九十五番歌・前大僧正慈円の「比叡山」を訪ねました。 志賀越道(しがごえみち)は、京都の荒神口から、近江に至る街道で、平安時代は京都から大津へ抜ける道は、逢坂の関を越えて大津へ至る道と、この志賀峠を 越えて滋賀里へ至る道があった。そしてこの街道の北白川入り口には、鎌倉時代に作られた石像で、太閤秀吉がたいそう気に入り聚楽第に移すと、夜な夜な「白川へ返せと」と泣き続けるので、早速もとに在った北白川の地に戻されることになったという逸話のある「子安観音」が残っている。また、途中には山中越の旧道に面し、道行く人々の安全を祈って造られた阿弥陀如来の大きな石仏なども在り、訪れる人は多くないが当時の面影を残した風景が所々に在りました。 そして、同時に訪れた比叡山では「文殊楼」の側に前大僧正慈円が修行中に詠んだ歌の石碑が在りました。