「秀歌百景」写真展で展示した写真をスライドショーにしました。 「平安時代の貴族の恋愛スタイル」 というのが「あんの秀子著 マンガでわかる百人一首 」(株)池田書店発行 に書いてあったのでそのまま引用します。 (1)出会い 御簾(すだれ)でさえぎられるなどして、 基本 的 には直接対面することがない貴族の男女。 出会いといったら、男性が女房から女性の噂を 聞いたり、こっそり女性の姿を覗く「垣間見」 くらいしかなかった。 男性はこうして出 会い、 気に入った女性に懸想 文(ラブレター)を送る。 (2)進展 男性から手紙を受け取った女性は、母親と相談 し て返事の歌を贈る。こうして、兄弟や女房、 文使いを通して二人は贈答を繰り返す。そして あるとき、女性から男性へ、女性の家へ訪れる よう誘う。しかしその日に女性と逢うことが許 さ れるわけではない。男性は、女房を介して女 性と 歌を贈り合い、朝方帰宅するのみに留まる のだ。 これを繰り返すうちに徐々に二人は逢うことを 許 され、ようやく結ばれる。結ばれた日には 後朝の 歌を男性から女性に贈り、男性の気持ち を伝えた という。 (3)結婚 無事結ばれ、後朝の歌を贈ったとしても、まだ 正 式な結婚にはならない。正式となるのは、 やはり 両親の許しが必要なのだ。 このあたりは現代の 感覚と変わらない。 両親が許してから3日目に 「所顕」(ところ あらわし)という儀式を行う。 親戚や知人が集まる、いまでいう披露宴のよう な ものだ。それ以後は女性の家にいてもよいこ とに なり、衣服などを女性の家で用意し、 子どもは 女性側の家で育てた。 基本的に「妻問婚」といっ て、男性が女性のも とに通うスタイルだった。 平均年齢は男性が約18歳で女性は約13歳。 (4)離婚 当時の離婚は夫が妻に一方的に伝えられたが逆 は 許されなかった。法的に離婚が認められる 条 件 は、妻に子が産まれない、浮気をしたなど。 口数が多すぎるのも正当とされた。 いずれにせよ、すべての理由は女性にあったと されていた。