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秋の京都嵐山

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日本を代表する人気観光スポット・京都嵐山の秋の風景です。 藤原定家が小倉山で編集したことから「小倉百人一首」の聖地とされており、四季を通じて美しい風景を見せてくれます。 後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してから嵐山は桜の名所、そして小倉山は紅葉の名所として親しまれてきました。 今回は秋の嵐山の風景をお楽しみください。 音楽:BGMerよりフリーBGM「いつもありがとう」
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「秀歌百景」写真展で展示した写真をスライドショーにしました。 「平安時代の貴族の恋愛スタイル」 というのが「あんの秀子著  マンガでわかる百人一首 」(株)池田書店発行 に書いてあったのでそのまま引用します。 (1)出会い   御簾(すだれ)でさえぎられるなどして、 基本   的 には直接対面することがない貴族の男女。    出会いといったら、男性が女房から女性の噂を   聞いたり、こっそり女性の姿を覗く「垣間見」   くらいしかなかった。      男性はこうして出 会い、 気に入った女性に懸想   文(ラブレター)を送る。 (2)進展   男性から手紙を受け取った女性は、母親と相談   し て返事の歌を贈る。こうして、兄弟や女房、   文使いを通して二人は贈答を繰り返す。そして   あるとき、女性から男性へ、女性の家へ訪れる   よう誘う。しかしその日に女性と逢うことが許   さ れるわけではない。男性は、女房を介して女   性と 歌を贈り合い、朝方帰宅するのみに留まる   のだ。   これを繰り返すうちに徐々に二人は逢うことを   許 され、ようやく結ばれる。結ばれた日には   後朝の 歌を男性から女性に贈り、男性の気持ち   を伝えた という。 (3)結婚   無事結ばれ、後朝の歌を贈ったとしても、まだ   正 式な結婚にはならない。正式となるのは、   やはり 両親の許しが必要なのだ。    このあたりは現代の 感覚と変わらない。   両親が許してから3日目に 「所顕」(ところ   あらわし)という儀式を行う。   親戚や知人が集まる、いまでいう披露宴のよう   な ものだ。それ以後は女性の家にいてもよいこ   とに なり、衣服などを女性の家で用意し、   子どもは 女性側の家で育てた。   基本的に「妻問婚」といっ て、男性が女性のも   とに通うスタイルだった。     平均年齢は男性が約18歳で女性は約13歳。 (4)離婚   当時の離婚は夫が妻に一方的に伝えられたが逆   は 許されなかった。法的に離婚が認められる 条   件 は、妻に子が産まれない、浮気をしたなど。   口数が多すぎるのも正当とされた。   いずれにせよ、すべての理由は女性にあったと   されていた。