(03)  足引の 山鳥の尾の しだり尾の 
      ながながし夜を ひとりかもねむ
             (柿本人麻呂)
(歌意)夜は独り寝すると言われる山鳥の
                長く垂れ下がっている尾のように
                長いながい秋の夜を
    私もひとり寝るのかなあ。

  Long is the mountain pheasant’s tail
  That curves down in its flight;
  But longer still, it seems to me,
  Left in my lonely plight,
  Is this unending night.   
     THE NOBLEMAN
                                        KAKI-NO-MOTO

柿本人麻呂の作とされているが定かでないようです。「〜の」という言葉が4回続き、これを繰り返すことによって、歌にリズムを付けています。
キジ科の山鳥は、雄と雌が離れて眠る習性があることから、「一人寝の寂しさ」を表現する例えとして使われることが多いようです。 写真の下方部の山中には、別々に離れて眠っている山鳥を想像しながら詠んでみてください。
柿本人麻呂は、全国各地の「柿本神社」に祀られており、和歌の上達は勿論、火災除け(火止まる)や安産(人産まる)にもご利益があるそうです。
「いろは歌」
いろは歌」の存在は知ってたけど、中身についてはよく知らなかったので調べてみました。
いろはにほへと(色は匂へど)
ちりぬるを(散りぬるを)
わかよたれそ(我が世誰ぞ)
つねならむ(常ならむ)
うゐのおくやま(有為の奥山)
けふこえて(今日越えて)
あさきゆめみし(浅き夢見じ)
ゑひもせす(酔ひもせず)
意味は 
  「色」は花の色を指し、桜の花のこと 
  「匂う」は色鮮やかに咲き誇る様
  「散りぬるを」は散ってしまった
  「我が世」とはこの世のこと 
  「常ならむ」永久ではない
  「有為」仏教用語で人生そのもの 
  「奥山」は奥深く険しい山道
  「浅き夢」は地位や名誉やお金を指す
  「酔ひもせず」は煩悩の原因である、
   地位や名誉やお金に陶酔しないという意味で
  「浅き夢見じ」と「酔ひもせず」は
   倒置法が用いられており、
  「酔ひもせず 浅き夢見じ」となる。
つまりは
    色鮮やかに咲き誇る桜の花でも、
    やがて散ってしまうというのに
    この世で永遠に生き続けることのできる人が
    いるのだろうか。
       この世という苦しみの人生を今日こそ
       超越して悟りの境地に至り、
    自己陶酔することも儚い夢を
    見ることもするまい。
このように、仮名を重複させずに仏教の教えを説く歌を作った柿本人麻呂って凄いですね。
いや、弘法大師空海の作という説もあるようです。



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