(11) わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人にはつげよ あまの釣舟
(参議 篁)
人にはつげよ あまの釣舟
(参議 篁)
(歌意) 私は流刑となり、
大海原に浮かぶ多くの島々に向けて
舟を漕ぎ出したと
都のあの人に伝えておくれ。
漁師の釣り舟よ。
Oh! Fishers in your little boats,
Quick! tell my men, I pray,
They’ll find me at Yasoshima,
I’m being rowed away
Far off across the bay.
THE PRIVY COUNCILLOR
TAKAMURA
瀬戸内海の島々(帆船ははめ込み合成)
作者の小野篁は、遣隋使の小野妹子の子孫です。篁も遣唐使に任ぜられたが、損傷した船に乗せられそうになり、病気を理由に渡航を拒んだ。さらに遣唐使を批判する「西道謡」という詩を作ったことで嵯峨天皇の怒りをかって隠岐へ流罪となった。この歌は、いよいよ瀬戸内海に乗り出して流刑地に向かうときの寂しい思いを詠んでいます。しかし、一年余りで都に戻れることができ、陸奥守などを経て従三位、参議となった。地獄に出入りして閻魔大王と親しく交流したとの伝説もあります。
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