(55)   滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
     名こそ流れて なほ聞こえけれ 
            (大納言公任)
    
 (歌意)大覚寺に伝わる滝の音は、
     水が涸れて聞けなくなってから
     久しくなったけれども、
     その名声だけは世に流れ伝わって
     今も聞こえているのだなあ。

        This waterfall’s melodious voice
  Was famed both far and near;
  Although it long has ceased to flow,
  Yet still with memory’s ear
  Its gentle splash I hear.   
        THE FIRST ADVISER 
        OF STATE KINTO

平安時代に最も権力を持った藤原道長と同い年のこの歌の作者・藤原公任は、道長に政治ではかなわなかったため、芸術方面で対抗心を燃やしていたそうです。この歌は、道長のお供として大覚寺を訪れたとき、庭にある枯れた滝を見て詠んだ一首だそうです。公任たちが訪れたときは、滝殿に水が溢れていたかつての滝の流れや音を思い描くことは出来たかも知れないが、現在の大覚寺に残っている滝跡では、まったく想像が出来ませんでした 

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(56) あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
     今ひとたびの 逢ふこともがな
              (和泉式部)
(歌意) 私はまもなくこの世にはいないでしょう。
            あの世への思い出に、
      もう一度何とかしてお逢いしたいものです。

   My life is drawing to a close,
   I cannot longer stay,
   A pleasant memory of thee
   I fain would take away;
   So visit me, I pray.       
                      IZUMI SHIKIBU       

般若寺(奈良県)の石仏

藤原道長に「浮かれおんな」と評された和泉式部は、美人で恋多き女として知られ、道長の娘で一条天皇の后でもある中宮彰子に仕えました。この歌は、和泉式部が重い病気に伏していた時に詠ったそうですが、最愛の人との逢瀬の後に、あの世に旅立ちたいと願う気持ちを詠むのは和泉式部らしいですね。
写真の石仏は、コスモスが野に咲く花でありながら、誰かがお供えして祈っているように思えます。


  

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