(50) 君がため 惜しからざりし 命さへ
    長くもがなと 思ひけるかな 
              (藤原義孝)

  (歌意) あなたへの想いが叶うなら、
       惜しくもなかったこの命さえ
       それが叶った今となっては、
       もっと長くあって欲しいと
          思うようになったのですよ。

   Death had no terrors, Life no joys,
         Before I met with thee;
         But now I fear, however long
         My life may chance to be,
       ’Twill be too short for me!    
        YOSHITAKA FUJIWARA 
逢う前と逢ってからの気持ちの変化を歌ってます。逢ってみて想いが通じると、この幸せが少しでも長く続いて、長生きしたいという気持ちに変わったようです。上の写真は、夕日の撮影に行った時、三脚を立てようとした足元のタンポポに部分的な光が当たっているのを見て、何か感ずるものがあったから撮ったものです。タンポポの綿毛の、いつまでも生き続けようとして飛び散って行く姿が、長生きをしたいと想うこの作者の心情に重なっているような気がします。ところが作者の藤原義隆は、幼い子供を残し、二十一歳で天然痘にかかって亡くなったそうです。



 (51)  かくとだに えやはいぶきの さしも草
    さしも知らじな 燃ゆる思ひを 
            (藤原実方朝臣)

 (歌意) このように、
            貴方を慕っていることを
   伝えることだって出来ないのだから
   伊吹山のさしも草のように
   燃える想いを
   よもやお分かりでないでしょうね。

Though love, like blisters made from leaves
Grown on Mount Ibuki,
Torments me more than I can say,
My lady shall not see,
How she is paining me.   
       THE MINISTER 
       SANEKATA FUJIWARA
     奈良県の田園風景に伊吹山(滋賀県)を合成
この歌は何回読んでも解らなかった。(難解と掛けてる掛詞のつもり) つまり掛詞というのはダジャレなんですね。この歌も掛詞の連発で、「もゆる思ひ」の「ひ」は「火」に掛けてます。また、さしも草とはお灸に使うもぐさの原料のことで、もぐさの産地が伊吹山(滋賀県)だそうなので、「いふ」と「いぶき」を掛けてるようです。
写真は、ミレーが描いた「晩鐘」を思わせる風景の中で、籾殻がじわじわと焼かれていく様子と、もぐさが徐々に熱くなる「もゆる思ひ」の情景を重ねて表現しました。

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