(99) 人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は
(後鳥羽院)
(歌意)人が愛おしかったり、
憎らしくも思える。
どうすることもままならない
この世を思うゆえに、
あれこれと思い悩む、わたしは。
How I regret my fallen friends
How I despise my foes!
And, tired of life, I only seek
To reach my long day’s close,
And gain at last repose.
THE RETIRED EMPEROR
GOTOBA
あるときは人が愛しく思えたり、あるときは憎らしくなる。激動の時代の中にあって、後鳥羽院がこの世を苦々しく想う気持ちを歌っています。年々幕府との対立が深まり、後鳥羽上皇(後鳥羽院)は、挙兵するも敗れ(承久の乱)、隠岐島に流されその地で没した。写真は、その時々によって憎らしく思えたり、また愛おしくも思える二面性を、美しさと不吉さの二面性を持つ曼珠沙華(彼岸花)で表現しています。
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(100) ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
なほあまりある 昔なりけり
(順徳院)
(歌意)宮中の古びた軒端に
生えている忍草を見ると
やはり、偲んでも偲びきれないのは
栄えていた昔のことであるよ。
My ancient Palace I regret,
Though rot attacks the eaves,
And o’er the roof the creeping vine
Spreads out and interweaves
Unpruned its straggling leaves.
THE RETIRED EMPEROR
JUNTOKU
この歌は、順徳院の父・後鳥羽院とともに倒幕を企てた承久の乱を起こす五年前に詠まれたそうです。雑草の忍ぶ草に「偲ぶ」と「忍ぶ」を掛けて、かつて栄華を極めた宮廷が、荒んでいく様子を嘆いて歌っています。幕府に敗れて、順徳院は佐渡島に流されたが、その地で和歌を読み続け、隠岐島に流された父とも歌のやりとりをしていたそうです。そして、流されてから二十二年目に、父の後を追うようにして四十六歳で亡くなったそうです。(絶食したうえ、焼いた石を頭に乗せて自ら命を絶ったとされている)
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