(86) 嘆けとて  月やは物を 思はする
       かこち顔なる わが涙かな
             (西行法師)

 (歌意)嘆けと言って月が
     物思いをさせるのだろうか。
     いや、そんな筈はないのだが,
     そうとでも思いたくなるほど、
     月にかこつけるようにして
     涙が流れてしまうのだ。

  O’ercome with pity for this world,
  My tears obscure my sight;
  I wonder, can it be the moon
  Whose melancholy light 
  Has saddened me to-night?    
       THE PRIEST SAIGYO

西行法師、俗名は佐藤義清(のりきよ)で、元々は御所の警護をする北面の武士で、イケメンであったそうです。西行が残した伝説の一首で、「ねがはくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」(願いが叶うならば、桜の花の下で春に死にたい。涅槃会の二月十五日の満月の頃に)がある。そして西行はそのとおり文治六年(1190)の二月十六日に河内の弘川寺で生涯を閉じたそうです。 この歌は、美しい月を見て涙が出るのは、本当は恋する人を想って涙を流しているのだが、月のせいにしたいのだよと歌っています。写真は、柄杓からの雫がつくばいに落ち、その波紋で水面の月がゆらめいて見える。切なくてこぼれ落ちる涙を表現しています。


コメント

このブログの人気の投稿

白蛇の棲む神社「大神神社」(三輪明神 )

藤原定家も参詣した「北野天満宮」

歌枕を訪ねて(27) 「伊吹山」