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歌枕を訪ねて(22)     「雄島(松島)・末の松山・沖の石」

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  小倉百人一首第九十番歌・殷富門院大輔が詠んだ歌の「松島」と、第四十二番歌・清原元輔の「末の松山」そして、第九十二番歌・二条院讃岐の「沖の石」を訪ねました。 日本三景の一つ松島にある雄島。かつては「奥州の高野」と称される死者供養の霊場であったそうです。独特の雰囲気があり、小さな島ながら見どころは沢山ありました。また、雄島からそう遠くはない多賀城市の「末の松山」と「沖の石(沖の井)」は、住宅地の中という意外な所にありました。「沖の石」は、松尾芭蕉が訪れて「奥の細道」に記載したことから、陸奥国の歌枕として有名になったようです。 BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより元NHKアナウンサー加賀美幸子さん

歌枕を訪ねて(21)     「陸奥 信夫郡」

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  小倉百人一首第十四番歌・河原左大臣(源融)が詠んだ歌の「陸奥国信夫郡」を訪ねました。 かつて、しのぶ草の葉形などを摺りこんだ模様の「しのぶもちずり絹」の産地で、都からの按察使・源融(みなもとのとおる)と長者の娘・虎女との運命の出会の地、文知摺観音(晋門院)を訪れました。  BGM :甘茶の音楽工房より「秋色の丘」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより  元NHKアナウンサー加賀美幸子さん

歌枕を訪ねて(20)      「筑波山」

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  小倉百人一首第十三番歌・陽成院が詠んだ歌の「筑波山」を訪ねました。 筑波山神社から、巨岩・奇岩が多く見所のある白雲橋コースで登り、女体山から男体山を巡って「みなの川」の水源を見てきました。 男女川の水源の水が次第に量を増してゆく様を、恋が深まっていく心情に喩えて歌った陽成院の気持ちに触れたような気がします。 BGM :甘茶の音楽工房より「悠久の時へ」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん

歌枕を訪ねて(19)     「鎌倉」

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  小倉百人一首第93番歌・鎌倉右大臣(源実朝)が詠んだ歌枕「鎌倉」を訪ねました。 鶴岡八幡宮や白旗神社、由比ヶ浜など実朝ゆかりの地を歩いてきました。 BGM :甘茶の音楽工房より「悠久の時へ」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより 元NHKアナウンサー加賀美幸子さん

歌枕を訪ねて(18)「佐渡」

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  小倉百人一首第100番歌・順徳院の詠んだ歌枕「佐渡」を訪ねました。 順徳院は後鳥羽天皇の第3皇子で、土御門天皇の譲位の後、満13歳で即位。父の後鳥羽上皇からは大きな期待と愛情が寄せられていました。和漢の学問の才もあり、定家に歌を学びました。 承久の乱で、父の後鳥羽院と共に立つも敗れ、佐渡に流されました。 45歳の時に、絶食したうえ、焼いた石を頭に乗せて自ら命を絶ったと言われています。 BGM :甘茶の音楽工房より「悠久の時へ」

歌枕を訪ねて(17)「有馬山」

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  小倉百人一首第58番歌・大弐三位が詠んだ歌枕「有馬山・猪名」を訪ねました。 猪名と呼ばれた場所での笹原は、現在では残っておらず、伊丹市役所近くの「猪名の笹原モデル園」で再現されて面影を残しているのと、東リ株式会社本社入り口に笹が残されていました。 また有馬山は江戸時代に深江浜などで捕れた魚を、有馬温泉まで運ぶのに利用された「魚屋道」を歩きその当時を偲びました。 有馬温泉から少し東に位置する「宝塚歌劇団」の初期の頃は、団員の名前は百人一首から取られた名前が多かったそうで、「有馬稲子」や「淡島千景」他たくさんあるようです。