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5月, 2024の投稿を表示しています

冥界への出入り口「六道珍皇寺」

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百人一首・第十一番歌を詠った小野篁(参議篁)は、夜な夜な地獄に通い閻魔大王の執務補佐をしていたという伝説があり、その出入り口となる井戸が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある。  その地獄の入り口と出口の、二つの井戸を見てきました。   BGM : 甘茶の音楽工房より「最終戦』  

歌枕を訪ねて(26)「名古曽の滝」

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  小倉百人一首第五十五番歌・藤原公任が詠んだ「名古曽の滝跡」を訪ねました。 嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の一角にあり、以前は水も枯れ、僅かな石組みだけの滝跡でしたが、現在は少しの水が流れるように成っており、遣水も整備されていて昔の面影が残っていました。 BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより          元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/

紫式部ゆかりの『大原野神社』

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  桓武天皇の長岡京遷都の折に、奈良の春日大社の祭神を分祀したのが始まりの「大原野神社」は、紫式部も氏神として崇めこの地を愛しており、源氏物語では二十九帖「行幸」の巻で、大原野へと向かう冷泉帝の行列の様子で登場させている。 BGM : 甘茶の音楽工房より「傾きかけた日差し」

平安の雅を伝える「平安神宮」

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  平安神宮は平安遷都1100年を記念して、桓武天皇をご祭神として明治28年に創建されました。 京都三大祭のひとつ「時代祭」が行われることでも知られ、平安の雅を伝える春の「平安神宮」を訪れました。 BGM : DOVA-SYNDROME より「雪去り、里に春は来たる」by のる

平安貴族も参詣した「清水寺」

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  藤原道長や赤染衛門・藤原実資、また宮中に仕えた紫式部や清少納言など多くの貴族や歌人たちが参詣した「清水寺」を訪れました。 BGM : 甘茶の音楽工房より「弥生の空に」

在原業平の隠棲地「十輪寺(業平寺)」

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  伊勢物語の主人公のモデル・在原業平が晩年に隠棲した「十輪寺」の「なりひら桜」を見てきました。ここには、業平が塩焼きの風流を楽しんだとされる「塩竈の跡」や、業平のお墓とされる小じんまりとした「宝篋印塔」もあり、在原業平を偲ぶことが出来ました。 BGM : 甘茶の音楽工房より「春へ向かう草花へ」

藤原家隆ゆかりの「四天王寺」

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  蘇我馬子と物部守屋が争った際に、蘇我氏側の聖徳太子が四天王像を彫ったところ戦いに勝利した。そのお礼として聖徳太子が四天王寺を建立したと伝えられています。 歌人・藤原家隆は役人を辞めたのち出家し、この地に夕陽丘という地名の由来ともなった「夕陽庵(せきようあん」という小さな庵を造り、念仏三昧の日々を送った。 四天王寺の極楽門から見れば、西門は極楽浄土への東門にあたり、鳥居越しに沈む夕陽を拝むという信仰は、日想観(じっそうかん)として今日まで続いています。 BGM : BGMerより「受け継がれゆく心」     http://bgmer.net

藤原定家も参詣した「北野天満宮」

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北野天満宮は、菅原道真公をお祀りする天満宮の総本社です。 「北野の天神さん」と言って親しまれ、入試合格や学業の成就、厄除祈願などで多くの人が訪れます。藤原定家も北野天満宮に歌一巻を奉納して、和歌の上達を祈願したという記録が残っているようです。 道真公と言えば、894年に遣唐使の廃止を提案し、その結果、国風文化が生まれるようになりました。道真公は醍醐天皇の時代に右大臣にまでなったが藤原氏から妬まれ、藤原時平の陰謀で太宰府に左遷されました。その時に残した歌が 『東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』有名な「飛梅」の歌です。 それから二年後に太宰府で亡くなります。 ところが道真の死後、京都では天変地異が続き、時平も亡くなり醍醐天皇の皇太子も、その次の皇太子も死亡しました。また、皇居に落雷するなどこの一連の出来事を道真の祟りだとしました。 その怨霊となった道真の恨みを鎮めるために北野天満宮を建立して祀ることになりました。 BGM:BGMerより「受け継がれゆく心」           http://bgmer.net  

歌枕を訪ねて(25)「初瀬(長谷寺)」

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  小倉百人一首第三十五番歌・紀貫之と、第七十四番歌・源俊頼朝臣が詠んだ「初瀬(長谷寺)」を訪ねました。 「貫之の古里の梅」が咲いていることを期待して行ったのですが、残念なことにまだ蕾が少し膨らんだ程度でした。でも、新緑前の木々の隙間から、普段は見えない景色を見ることが出来たのが、多少の救いでした。 BGM :甘茶の音楽工房より「放課後の海辺」 百人一首読み上げ:NHKクリエイティブ・ライブラリーより          元NHKアナウンサー加賀美幸子さん          https://www.nhk.or.jp/archives/creative/

源氏物語散歩「須磨・明石」

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  紫式部は「中宮の彰子」から「なにか新しい物語を読みたい」との要望を受けたため石山寺に参籠し、都落ちした在原行平をモデルに源氏物語12帖「須磨」、13帖「明石」を書き始めたとされています。その最初に構想を練った「須磨・明石」の源氏物語にゆかりのある地を探ってみました。 BGM : SuzukazeNoteより「朝日が昇る頃に」 https://ryota.site/suzukazenote/