藤原家隆ゆかりの「四天王寺」

 蘇我馬子と物部守屋が争った際に、蘇我氏側の聖徳太子が四天王像を彫ったところ戦いに勝利した。そのお礼として聖徳太子が四天王寺を建立したと伝えられています。

歌人・藤原家隆は役人を辞めたのち出家し、この地に夕陽丘という地名の由来ともなった「夕陽庵(せきようあん」という小さな庵を造り、念仏三昧の日々を送った。 四天王寺の極楽門から見れば、西門は極楽浄土への東門にあたり、鳥居越しに沈む夕陽を拝むという信仰は、日想観(じっそうかん)として今日まで続いています。 BGM : BGMerより「受け継がれゆく心」     http://bgmer.net


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