投稿

イメージ
  (31)  朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに         吉野の里に 降れる白雪                                                      (坂上是則) (歌意)ほのぼのと夜が明ける頃に、                 明け方の月が照らしているのかと       見間違えるほどに、                吉野の里に降り積もった雪だなあ。         Surely the morning moon, I thought,      Has bathed the hill in light;      But, no; I see it is the snow      That, falling in the night,      Has made Yoshino white.                          KORENORI SAKA-NO-UYE 作者の坂上是則は、平安時代の初め、征夷大将軍に任ぜられ蝦夷征伐でアテルイを降伏させた坂上田村麻呂のひ孫だそうです。降伏したアテルイは田村麻呂の知略を認め、田村麻呂もアテルイを総大将としての器に感服し、都へ連れて行き天皇の許しを乞うて蝦夷の地へ返すことを約束しました。ところが天皇は許さず首をはねて処刑してしまったという歴史があります。坂上是則は蹴鞠の名手でもあり、帝の前で蹴鞠を連続二百六回も蹴り、帝から絹を与えられたそうです。  朝、目覚めた時に窓の...
イメージ
(30)  ありあけの つれなく見えし  別れより                暁ばかり  憂きものはなし                                                          (壬生忠岑)    ( 歌意) 明け方に、月がつれなく残っていた。       あなたが冷たく見えた             あの別れ以来、夜明けほど辛く             思えるものはありません。          I hate the cold unfriendly moon,   That shines at early morn;   And nothing seems so sad and grey,   When I am left forlorn,   As day’s returning dawn.                                                 TADAMINE MIBU   この歌の解釈は、「つれなく」していたのは月か、それとも相手の女性かで大きく二つに分かれるようです。「古今集」では女性のもとに行ったのに逢ってもらえず、冷たくされたという解釈だが、定家は「月」説をとっており、女性と会ったあと、後ろ髪を惹かれる思いで別れ、冷たくそっけない月が出ているのを見て、つれなく思っ...
イメージ
  (29)  心あてに  折らばや折らむ  初霜の                     おきまどはせる  白菊の花                                                     (凡河内躬恒) (歌意)折るならば、あてずっぽうに                 折ってみようか。     初霜が一面に降りたために                 真っ白になり、     見分けがつかなくなっている                 白菊の花を。          It was a white chrysanthemum    I came to take away;    But, which are colored, which are white,    I’m half afraid to say,    So thick the frost to-day!                                      MITSUNE OHSHI-KOHCHI  日本を代表する歌人、正岡子規は「歌詠みに与ふる書」の中で、この歌を「つまらぬ嘘なるが故につまらぬ」と、貶しているようです。霜が降りて白菊が見えなくなるほど真っ白になり、区別が出来なくなることは有り得ないと言ってるのですが、この歌のように...
イメージ
  (27)  みかの原  わきて流るる  いづみ川       いつ見きとてか  恋しかるらむ               (中納言兼輔) (歌意) みかの原から湧き出て流れる    泉川の名のように    いつ見たということで、    あなたがこんなに恋しいのだろうか。   Oh! rippling River Izumi,   That flows through Mika plain,   Why should the maid I saw but now   And soon shall see again    Torment my love-sick brain?        THE IMPERIAL ADVISER             KANESUKE 木津川(京都府) みかの原は、聖武天皇が740年に平城京から遷都した恭仁京が置かれた場所。いづみ川は京都府南部を流れる木津川のことで、歌は、うねりながら水量を増していく川と、こんこんと湧き出て高まっていく恋心とを重ねて詠んでいます。だが、下の句で「いつ見たということで、こんなにも恋しいのだろうか」と詠んでいるので、逢ったこともない人への想いのようです。貴族達は、噂だけで恋をするらしいです。 写真の場所は、大型ダンプや運送車が行き交う狭い国道脇で命懸けの撮影でした。                                       ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ (28)  山里は   冬ぞさびしさ   まさりける      人目も草も  かれぬと思へば                 (源 宗于朝臣)  ( 歌意) 山里は冬になると、              寂しさがいっそう優って感じられる。       人の往き来も途絶えてしまい、           ...
イメージ
    (26)  小倉山  峰のもみじ葉  心あらば      今ひとたびの  みゆき待たなむ                                              貞信公(藤原忠平)           (歌意)小倉山の峰のもみじ葉よ、                          もし心があるならば、           もう一度の行幸まで散らずに                          待っていてくれないか。   The maples of Mount Ogura,   If they could understand,   Would keep their brilliant leaves, until   The Ruler of this land   Pass with his royal band.              PRINCE TEISHIN 京都嵐山 作者の貞信公(藤原忠平)が宇多上皇のお供として京都嵐山の小倉山に向かった時、上皇が紅葉の美しさに感動して、「醍醐天皇にも見せたいものだ」といったことを受けて、忠平が詠んだとされています。忠平の歌に感銘した醍醐天皇は追って小倉山を訪れ、これ以降小倉山への行幸は慣例となったそうです。
イメージ
  (25)  名にしおはば  逢坂山の  さねかづら      人に知られで くるよしもがな              (三条右大臣) (歌意) 逢坂山のさねかずらに   「逢って寝る」という名があるのなら、    その蔓をたぐり寄せるように、    誰にも知られずにあなたの元に    行く方法があればいいのだがなあ。        I hear thou art as modest as      The little creeping spray     Upon Mount Osaka, which hides     Beneath the grass; then, pray,     Wander with me to-day.        THE MINISTER-OF-THE-RIGHT                                              OF THE SANJYO サネカヅラ 関所 老ノ坂峠の常夜灯 作者の藤原定方は、この歌を現物のさねかづらを添えて恋人に送ったと言われています。 歌には掛詞を三つも入れたうえ、サネカヅラ(真葛)を送られて、彼女は意味を理解したのでしょうか。サネカヅラは蔓が長いので、男性が女性の縁を手繰りながら女性のもとにたどり着くといったイメージだそうです。 サネカズラは、マツブサ科サネカズラ属に分類される常緑つる性木本の1種。別名、ビナンカズラ、サナカズラともいう。別名のビナンカヅラ(美男葛)の名は、若い蔓から粘液をとって、昔は男性の髪付け油(整髪料)に使われていたことに由来する。また、大阪ではビジョカヅラ(美女葛)と称したともいわれている。また、サナカズラ(真葛)は、枝に粘液が含まれ、粘ることによるとされている。 ウィキペディアより
イメージ
  (24)  このたびは  幣もとりあへず  手向山       もみじの錦  神のまにまに                  (菅家) (歌意) 今度の旅は突然のことで、     お供えする幣を用意できておりません。     とりあえず、手向山の錦の如き紅葉を     捧げますので、神様の御心のままに     御受け取りください。   I bring no prayers on colored silk   To deck thy shrine to-day,   But take instead these maple leaves,   That grow at Tamuke;   Finer than silk are they.                 KWAN-KE 時代祭りの牛車 菅家とは菅原道真のことで、学問の神様として有名です。道真は非常に頭が良く、時の天皇宇多天皇にかわいがられた。そして、そう身分の高くない家の出身でありながら、醍醐天皇のときには右大臣にまでなった。このことが藤原氏達は気に入らなくて、藤原時平の陰謀で大宰府に左遷されてしまい、その二年後には亡くなってしまった。道真の死後、京の都では天変地異が後を絶たず、道真を陥れた時平も若くして死に、醍醐天皇の皇太子や、次の皇太子も死亡、さらに、皇居に落雷があり多くの人が亡くなった。すると、人々は、これらの出来事は道真の祟りだと思った。そこで、道真の怨霊を鎮めるために、北野天満宮を建てて彼を祀ることとなったのです。 この歌は宇多天皇のお供として奈良に旅をした時、神に捧げる幣を事前に用意していなかったので、機転を利かせ、モミジで代用しようとした歌です。だが、優秀な道真が幣を忘れてくるとは考えられず、用意した幣よりも美しいモミジの葉をお供えした方が神も喜ばれると思い、その場で差し替えたのではないかとされております。