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12月, 2021の投稿を表示しています
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                      Click  秀歌百景スライドショー   今年も残すところあと僅かとなりました。 なんとかこの「秀歌百景」も年内に百首すべてをブログに上げることが出来ました。 この一年もコロナの影響で不自由な生活を強いられた方も多かったと思います。 歴史上、過去にもウイルスによる感染症に脅かされた年も度々あったようです。 百人一首の作者、大伴家持(第六首)や阿倍仲麻呂(第七首)の奈良時代においても天然痘が大流行し、当時政権を握っていた藤原四兄弟は全員が感染して亡くなり、政治機能が麻痺してしまったようです。そして、100万人以上の命を失くしたとされています。 また、世界的に見てもペストの流行やスペインかぜ、香港かぜなどの感染症は幾度か発症していますが、私たちの時代にこのパンデミックを経験するとは夢にも思はなかったですね。 コロナとの戦いは暫くは続くと思いますが、いつか克服できるときが来るはずです。人類同士が醜い争いをしている場合ではなく、人類の叡智を結集してウイルスに立ち向かうときです。マスクの着用や予防接種を受けることもその内の一つです。感染しないこと、させないことがウイルスとの戦いだと思います。もう少しの辛抱だと思って頑張りましょう。 2022年は良い年になることを祈っております。
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  (99) 人もをし 人も恨めし あぢきなく      世を思ふゆゑに 物思ふ身は                 (後鳥羽院)    (歌意)人が愛おしかったり、       憎らしくも思える。       どうすることもままならない       この世を思うゆえに、       あれこれと思い悩む、わたしは。       How I regret my fallen friends       How I despise my foes!       And,  tired of life, I only seek       To reach my long day’s close,       And gain at last repose.            THE RETIRED EMPEROR                  GOTOBA  あるときは人が愛しく思えたり、あるときは憎らしくなる。激動の時代の中にあって、後鳥羽院がこの世を苦々しく想う気持ちを歌っています。年々幕府との対立が深まり、後鳥羽上皇(後鳥羽院)は、挙兵するも敗れ(承久の乱)、隠岐島に流されその地で没した。写真は、その時々によって憎らしく思えたり、また愛おしくも思える二面性を、美しさと不吉さの二面性を持つ曼珠沙華(彼岸花)で表現しています。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  (100)  ももしきや 古き軒端の しのぶにも       なほあまりある 昔なりけり                  (順徳院)    (歌意)宮中の古びた軒端に       生えている忍草を見ると       やはり、偲んでも偲びきれないのは       栄えていた昔のことであるよ。       My ancient Palace I regret,       Though rot attacks the eaves,       And o’er the roof the creeping vine       Spreads out and interweaves       Unpruned its straggl...
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(97) 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに     焼くや藻塩の 身もこがれつつ              (権中納言定家) (歌意)待てども来ない人を待つ私は、     松帆の浦の夕凪の時に焼く藻塩のように     身も焦がれる思いでいるのです。       Upon the shore of Matsu-ho     For thee I pine and sigh;     Though calm and cool the evening air,     These salt-pans caked a nd dry     Are not more parched than I!         THE ASSISTANT       IMPERIAL ADVISER  SADAIYE この百人一首の撰者、藤原定家の歌です。女性の立場で切ない恋心を詠んでいます。藻塩というのは、海藻に塩水をかけては乾かし、付着した塩を海水で釜に流し、さらに煮詰めて取り出した塩のことだそうです。夕暮れに、いくら待てども来ないあなたを待っていると、夕凪どきに焼かれる藻塩のように、身の焦がれる思いがしますよ。と歌っているのです。「まつ」に「松」と「待つ」を掛け、「こがれる」に「焼けこがれる」と「恋こがれる」を掛けた技巧を尽くした歌です。瀬戸内の海に沈む夕陽の色が、身を焦がす色のイメージと重なります。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (98) 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは     みそぎぞ夏の しるしなりける              (従二位家隆)   (歌意)風がそよそよと楢の葉に吹いている      この「ならの小川」の夕暮れ時は、      もう秋のように思えるが、      禊の行事だけが夏の証なのだなあ。     The twilight dim, the gentle breeze     By Nara’s little stream,     The splash of worshippers who wash     Before the shrine, all seem     A...
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  (95)  おほけなく うき世の民に おほうかな       わが立つ杣に 墨染の袖               (前大僧正慈円) ( 歌意) 我が身に不相応にも、      俗世の人々に覆い掛けたいものです。      この比叡山に住み始めたばかりの      私の墨染の袖を。        そして人々のために祈ろう。   Unfit to rule this wicked world    With all its pomp and pride,   I’d rather in my plain black robe   A humble priest abide,   Far up the mountain side.          THE FORMER ARCHBISHOP                 JIYEN 保元・平治の乱で都は乱れ、飢餓や伝染病などで不安な日々を送っている民を、僧として祈り、救いたいものだと詠んでいます。「墨染めの袖」は僧衣のことで僧侶となって修行をする意味だそうです。また、「住み初め」(すみぞめ)を掛けています。この歌は比叡山での修行中に詠んだ歌ですが、写真は二月堂(奈良市)からの風景です。 慈円が都を眺めながら僧衣の袖を覆いかけるようにして祈っている姿をこの地で想像しました。   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (96) 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで     ふりゆくものは 我が身なりけり           (入道前太政大臣) ( 歌意) 桜の花を散らせる嵐の吹く庭の    雪のように降り行くものは    花ではなくて、古り行く、    つまり年老いて行く我が身なのです。  This snow is not from blossoms white  Wind-scattered, here and there,  That whiten all my garden paths  And leave the branches bare;  ’...
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  (93) 世の中は 常にもがもな 渚こぐ            あまの小舟の 綱手かなしも                (鎌倉右大臣) (歌意) 世の中は常に変わらないでほしい。    海辺で漁師が小さな船の曳き綱を    引いている様子が    いとおしく感じられるなあ。  I love to watch the fishing-boats  Returning to the bay,  The crew, all straining at the oars,  And coiling ropes away;  For busy folk are they.        THE MINISTER OF        THE RIGHT DISTRICT              OF KAMAKURA  この頃は、北条氏が権力を持ち始めた頃で、作者の鎌倉右大臣(源実朝)は、政治にはあまり関心を示さず、文化の方に関心を持ったようです。頼朝の子として、十一歳で三代将軍になるが、鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された。この歌は、鎌倉の海で漁師の日常を眺めながら、変わることのない世を願って詠んだ歌です。写真は、鎌倉ではなく瀬戸内海ですが、漁をする帆船が浮かんでいるゆったりとした風景にし、世の無常を願う実朝の心情を表現しました。 鎌倉の海岸を撮影するつもりで由比ヶ浦に行ったけど、趣が違っていたので不採用です。そのときに立ち寄った鶴岡八幡宮では、実朝を暗殺しようとして、公暁が身を潜めていた樹齢1000年以上の大銀杏は、2010年に強風で倒れてなくなっていました。小学校の修学旅行で見た記憶は残っておりますが・・・。そこには実朝と同じように、世の無常を感じるものがありました。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (94) み吉野の 山の秋風 さ夜更けて       ふるさと寒く 衣打つなり                     ...
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  (92)  わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の       人こそ知らね かわく間もなし                                                   (二条院讃岐) (歌意)私の着物の袖は、       引き潮の時にも       見えない沖の石のように、       あの人は気づかないけれど、       涙に濡れて、乾く間もないのです。       My sleeve is wet with floods of tears    As here I sit and cry;    ‘Tis wetter than a low-tide rock,−    No one, howe’er he try,    Can find a spot that’s dry!              SANUKI, IN ATTENDANCE                  ON THE  RETIRED EMPEROR NIJYO 「石に寄せる恋」というお題で詠んだ歌で、潮が引いても姿を現さない石があり、その岩のように私の袖も、あなたを想う涙で濡れたまま乾くことがない。あなたは、そのことに気づいていますか。と歌っています。この歌は当時大変な人気になり、二条院讃岐は「沖の石の讃岐」と呼ばれたそうです。 写真は、雨晴海岸(富山県)の朝日を撮ったものですが、大変人気のある撮影スポットで、夜中から日の出待ちのカメラマンでいっぱいでした。
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 (91)  きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに         衣かたしき ひとりかも寝む        (後京極摂政前太政大臣) (歌意) コオロギの鳴く霜の降りる寒い夜、    筵の上で私は自分の片側の袖を敷き、    ただ独りわびしく寝るのだろうか。             I’m sleeping all alone, and hear    The crickets round my head;    So cold and frosty is the night,    That I across the bed    My koromo have spread.            THE REGENT AND                            FORMER PRIME MINISTER               GO-KYOGOKU この歌の「きりぎりす 」は、今でいうコオロギのことで、気温が下がるにつれて暖かい場所を求め、床下などに移動するそうです。 後京極摂政前太政大臣こと九条良経は、二十六歳で右大臣になったエリートだが、三十八歳で生涯を閉じたそうです。さらに、この歌を詠む少し前に妻を亡くしていたそうです。床下のコオロギの鳴く声が響く中での、一人寝の寂しさがひしひしと伝わってきます。
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  (89)  玉の緒よ  絶えなば絶えね  ながらへば      忍ぶることの 弱りもぞする             (式子内親王) (歌意) 私の命よ、      絶えてしまうなら絶えてしまえ。     もし、生きながらえていると     この恋を忍ぶことができなくなり、     人に知られてしまうかもしれないから。  The ailments of advancing years  Though I should try to hide,  Some day the thread will break, the pearls  Be scattered far and wide;  Age cannot be defied.             PRINCESS SHOKUSHI 今まで長い間この恋を隠してきたけど、これ以上は隠しきれない。生きていれば顔色に出て、世間に知れ渡ってしまう。それならいっそ命が絶えてくれれば、と切ない命懸けの恋心を歌っています。式子内親王は後白河院の皇女で賀茂斎院を務めました。藤原定家の父、藤原俊成に歌を学んでおり、十四歳年上の定家と恋愛関係にあったと噂されています。写真は、耐え忍んでいる様子を凍てついた手水鉢で表現しました。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※※※※※※ ※※ (90)  見せばやな 雄島のあまの 袖だにも     ぬれにぞぬれし 色はかはらず            (殷富門院大輔) (歌意) 私の袖をお見せしたいものです。      雄島の漁師の袖でさえ            濡れたとしても色は変わらないのに。     (私の袖は涙でこのように変わりました)   The fisher’s clothes,though cheap, withstand   The drenching they receive:   But see! my floods of tears have blur...
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  (87) 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に      霧立ちのぼる 秋の夕暮れ             (寂蓮法師) (歌意) にわか雨が降り、      その露もまだ乾かない杉や檜などの葉に      霧が立ち上ってくる秋の夕暮れだなあ。 The rain, which fell from passing showers, Like drops of dew, still lies Upon the fir-tree needles, and The mists of evening rise Up to the autumn skies.           THE PRIEST JAKUREN 写真は、にわか雨が通り過ぎたあと、霧が立ち込めると同時に日が差し始めるという、自然の移り変わりを表現していますが、この写真は歌意に反しています。作者の寂蓮法師、俗名藤原定長が詠んだ「まきの葉」は常緑樹なので、紅葉した風景ではなく、色をおさえた幻想的な水墨画のような風景だそうです。ですが、秋の夕暮れを表現するのは、やはり黄金色かなぁ。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※ ※※※※※※※ ※※ (88) 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ       みをつくしてや 恋ひわたるべき             (皇嘉門院別当) (歌意)難波江の葦の刈り根の       一節のような短い仮初めの       一夜を過ごしてしまったせいで、       澪標ではないが身を尽くして      一生恋することになるのでしょうか。   I’ve seen thee but a few short hours;     As short, they seemed to me,     As bamboo reeds st Naniwa:     But tide-stakes in the sea     Can’t gauge my love for thee.    AN OFFICIAL OF THE DOWAGER       EMPRESS KWOKA 作者は崇徳天皇の...
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   (86) 嘆けとて  月やは物を 思はする        かこち顔なる わが涙かな              (西行法師)   (歌意)嘆けと言って月が      物思いをさせるのだろうか。      いや、そんな筈はないのだが,      そうとでも思いたくなるほど、      月にかこつけるようにして      涙が流れてしまうのだ。   O’ercome with pity for this world,   My tears obscure my sight;   I wonder, can it be the moon   Whose melancholy light    Has saddened me to-night?            THE PRIEST SAIGYO 西行法師、俗名は佐藤義清(のりきよ)で、元々は御所の警護をする北面の武士で、イケメンであったそうです。西行が残した伝説の一首で、 「ねがはくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」(願いが叶うならば、桜の花の下で春に死にたい。涅槃会の二月十五日の満月の頃に) がある。そして西行はそのとおり文治六年(1190)の二月十六日に河内の弘川寺で生涯を閉じたそうです。 この歌は、美しい月を見て涙が出るのは、本当は恋する人を想って涙を流しているのだが、月のせいにしたいのだよと歌っています。写真は、柄杓からの雫がつくばいに落ち、その波紋で水面の月がゆらめいて見える。切なくてこぼれ落ちる涙を表現しています。
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  (84)  ながらへば  またこのごろや  しのばれむ       憂しと見し世ぞ  今は恋しき               (藤原清輔朝臣) (歌意)生きながらえるとしたらやはり、     今頃のことが懐かしく     思い出されることだろう。     辛いと思っていた昔が、     今は恋しく思われるのだから。  Time was when I despised my youth,  As boyhood only can;  What would I give for boyhood now,  When finishing life’s span  An old decrepid man!             THE MINISTER             KIYOSUKE FUJIWARA 大台ヶ原ドライブウエイより和歌山方面の山々を望む 藤原清輔朝臣は、七十九番の藤原顕輔の子でありながら父とは仲が悪く、随分辛い思いをしたようです。その頃辛かったことも、今となっては懐かしく思われるのだから、いま苦しんでいることも、時が過ぎれば恋しく思われるのだろうと歌ってます。 山々の重なりを年齢の重なりとみたて、過去の辛かった思いをいまや懐かしむ心情を、山々で表現しました。辛い思いは、いじめによる辛さや、片想いによる辛さであっても過ぎてしまえば逃れられるのだろう。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※ ※※※※※ ※※※※ (85)  夜もすがら 物思ふころは 明けやらで      閨のひまさえ つれなかりけり                ( 俊恵法師)          (歌意)一晩中思い悩んでいるこの頃は、     夜もなかなか明けきれないで、     寝室の隙間までもが光を漏らさず     つれなく思えてきます。   All through the never-ending night   I lie awake and think;   In vain I look to try and see   The daybreak’s feeble blink   Peep through th...
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  (82) 思ひわび さても命は あるものを      憂きにたへぬは 涙なりけり                (道因法師) (歌意) あのつれない人を思い嘆き、      それでも命だけはつないでいるのに、      辛さに耐えきれないのは       涙なのだなあ。     How sad and gloomy is the world,     This world of sin and woe!     Ah! while I drift along Life’s stream,     Tossed helpless to and fro,     My tears will ever flow.                THE PRIEST DOIN 京都城南宮 桃山の庭 道因法師、藤原敦頼は左馬助(朝廷の馬の管理官)で、ケチで有名だったそうです。そのエピソードの一つに、原島広至氏著「百人一首今昔散歩」中経出版によると・・ 「左馬助」の任期が終わった後は大抵、行事に使った装束を部下の馬飼いたちに与えるのが通例だったがそれを 敦頼は ケチったため、翌年、葵祭で斎宮行列の最中に、かつての部下たちに襲われて服を剥ぎ取られ裸で逃げ帰った。そのため「裸の馬の助」とからかわれた と あります。 ところでこの歌は、命はとどめても、涙はとどめ得ないと、つらい片想いで涙する心情を詠んでいます。写真は、とどめなく降る雨でそれを表現しました。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※ ※※※※※※※ ※ (83) 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る      山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる             (皇太后宮大夫俊成)   (歌意)世の中には辛さから      逃れる術などはない。      思いを深くして入った山の奥にも      悲しげに鹿が鳴いているようだ。    From pain and sorrow all around    There’s no escape, I fear;    To mountain wilds should I retreat,    There also I should hear    The cry of hunted deer. ...
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  (80) 長からむ 心も知らず 黒髪の       乱れてけさは 物をこそ思へ                                              (待賢門院堀河)     (歌意)末長く続くのかどうか                     あなたのお心は分からないので、      この乱れた黒髪のように、                     私の心も乱れて      今朝は物思いをしています。       My doubt about his constancy   Is difficult to bear;   Tangled this morning are my thoughts,   As is my long black hair.   I wonder––Does he care?                LADY HORIKAWA,                         IN ATTENDANCE                   ON THE DOWAGER EMPRESS                        TAIKEN 平安時代の「通い婚」について   吉海直人氏監修 こんなに面白かった「百人一首」 PHP研究所発行 に分かりやすく書いてあったので、その...