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11月, 2021の投稿を表示しています
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  (79) 秋風に たなびく雲の 絶え間より      もれ出づる月の 影のさやけさ                                                (左京大夫顯輔)   (歌意)秋風にたなびく雲の切れ間から                   漏れ出てくる月の光の          なんと澄み切って明るいことよ。      See, how the wind of autumn drives      The clouds to left and right,   While in between the moon peeps out,   Dispersing with her light      The darkness of the night.      THE SHINTO OFFICIAL AKISUKE,            OF THE LEFT SIDE OF THE CAPITAL 雲一つない満月の夜もいいけど、たなびく雲に隠れていた月が、突然切れ目から顔を出し、澄み切った光を射す光景も良いものです。 透明感のある月の光は表現出来たのではないかと思います。
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  (78) 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に      幾夜寝ざめぬ 須磨の関守                (源 兼昌)   (歌意)淡路島へ飛び通う千鳥の      鳴く声を聞いて、      幾夜途中で      目を覚ましたことだろうか、      この須磨の関の番人は。             Between Awaji and the shore    The birds scream in their flight;    Full oft they’ve made the Suma Guard    Toss through a sleepless night,    Until the morning light.                                KANEMASA MINAMOTO この歌に詠まれている須磨は、「源氏物語」の舞台にもなった地で、須磨の巻では光源氏が隠れるようにして住んだ所として描かれているようです。この歌の作者、兼昌が須磨に泊まった夜、淡路島から飛んで来たチドリの悲しい声が聞こえ、その寂しい情景を詠んだ歌です。
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  (77) 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の        われても末に あはむとぞ思ふ                (崇徳院) (歌意)川の流れが速いので、     岩に堰き止められて     流れが分かれても     後に再び合流するように     私たちも今は離れていても     行く末は再び逢おうと思うのです。   The rock divides the stream in two,   And both with might and main   Go tumbling down the waterfall;   But well I know the twain   Will soon unite again.        THE RETIRED EMPEROR              SUTOKU 父の鳥羽院からは実子ではないため、幼い頃から父に嫌われ、その上異母弟の近衛天皇に譲位させられる。「保元の乱」では弟の後白河天皇に敗れ、讃岐へ流された。その後、おだやかに讃岐で写経を始め、「朝廷のためにありがたいお経を書き写したので、どうか納めて欲しい」と朝廷に送ったところ、送り返されてしまった。すると崇徳天皇は激怒し、自分の舌を噛み切り、その血でお経に呪いの言葉を書き込み、「わしは大魔王になって天皇家をずっと呪ってやる」と言い、壮絶な姿で亡くなったそうです。この歌は保元の乱以前に詠まれた歌とのことですが、大魔王となって呪いをかけるような人の歌とは思えないですね。 落語 崇徳院のあらすじを原島広至氏著「百人一首今昔散歩」中経出版から引用すると とある大店の若旦那が恋煩いが高じて虫の息。店に出入りの熊さんが、相手探しを頼まれる。若旦那は神津神社(上野の清水院バージョンもある)で、美しい娘に一目惚れしたのだが、その娘に崇徳院の上の句「瀬を早み岩にせかるる瀧川の」と書かれた紙を渡された。下の句のように「いずれ必ず会いましょう」という意味だ。その娘を見つけたら借家を五軒もらえる上に、三百両の礼金も付けると言われて、熊さん、勇んで湯屋や床屋など人のいる所で「瀬を早み・・・」と叫んで回る。ついにある床屋で、恋煩いで寝込んでしまったお嬢様に頼まれ、相手を探し回る棟梁に出会う。まず先にこっちに来い、いやこちらが先だと揉み合ううちに、床屋の鏡を割って...
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  (76) わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの      雲居にまがふ 沖つ白波         (法性寺入道前関白太政大臣) (歌意)大海原に漕ぎ出して見渡すと、        大空の雲と見間違えてしまうように     沖の白波が立っているなあ。   When rowing on the open sea,   The waves, all capped with white,   Roll onward,like the fleecy clouds   With their resistless might;   Truly a wondrous sight!            THE LATE REGENT                  AND PRIME MINISTER,              THE LAY PRIEST OF                                 THE HOSHO TEMPLE 七十五番の歌の藤原基俊との約束を反故にした藤原忠通が詠んだ歌です。後白河天皇とその兄、崇徳院とが衝突した「保元の乱」では、忠通は後白河天皇側で戦い、六十五歳で出家し法性寺の側に別荘を持ち、法性寺入道と呼ばれたそうです。 写真では、青い空と海との一体感を表現しました。
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  (75)   契りおきし させもが露を 命にて        あはれ今年の 秋もいぬめり                 (藤原基俊)       (歌意)約束していただいた       講師にさせようとの       恵みの露のようなお言葉を                         頼みとしてきましたが、       ああ、今年の秋も空しく                         過ぎていくようです。                       It is a promise unfulfilled,       For which I humbly sue;       The dainty little mugwort plant       Relies upon the dew,       And I rely—on you.                                       MOTOTOSHI FUJIWARA            興福寺五重塔 作者は、興福寺の維摩会の講師に、僧である自分の息子、光覚を選んでくれるようにと藤原忠通と約束をした。作者の基俊は期待をしていたが、今年の秋も終わりに近づいてしまい、裏切られたことを落胆して詠んだ歌だそうです。現代に於いてもありそうな話ですね。
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  (73) 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり      外山の霞 立たずもあらなむ           (前中納言匡房)    (歌意)高い山の峰に桜が咲いたなあ。       人里に近い山の霞よ       あの桜が隠れてしまうから       立ち込めないでおくれ。      The cherry trees are blossoming      On Takasago’s height;      Oh may no mountain mist arise,      No clouds so soft and white,      To hide them from our sight.         THE ASSISTANT IMPERIAL           ADVISER MASAFUSA この歌は、屏風絵を見立てた歌で実景を詠んだのではないとされてます。美しく咲いた桜の花を霞が見えなくしないでほしいという気持ちはよく分かりますね。霞を擬人化して詠んでいます。   ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※ ※※※ ※※※   (74)  憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ      はげしかれとは 祈らぬものを              (源 俊頼 朝臣) (歌意) つれないあの人が私になびくようにと    観音様にお祈りしたけど    初瀬の山に吹く冷たい山嵐よ、    私に対していっそうつれなくなれとは    祈らなかったのに。   源 俊頼朝臣     Oh! Kwannon, Patron of this hill,    The maid, for whom I pine,    Is obstinate and wayward, like    The gusts around thy shrine.    What of those prayers of mine?       THE MINISTER                 TOSHIYORI MINAMOTO 奈良県の長谷寺は恋の願掛けで名高く、平安時代には多くの人々が...
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  (71) 夕されば 門田の稲葉 おとづれて       芦のまろやに 秋風ぞ吹く              (大納言経信) (歌意)夕方になると、     家の前の稲葉に秋の風が訪れ、     私がいる芦葺きの小屋に     心地よい秋風が吹いてくるなあ。  This autumn night the wind blows shrill,  And would that I could catch  Its message, as it whistles through  The rushes in the thatch  And leaves of my rice-patch.        THE FIRST ADVISER OF STATE             TSUNENOBU 作者の源経信は、詩・歌・管弦と多芸の持ち主で、藤原定家の評価も高かったようです。 稲渕の棚田(奈良県)の夕暮れ風景に、ススキ・農具・民家を合成した創作風景です。 吹き抜ける心地のいい秋風を表現しています。   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (72) 音に聞く 高師の浜の あだ波は        かけじや袖の ぬれもこそすれ          (祐子 内親王家紀伊) (歌意) 噂に聞く高師の浜の波は            かけますまい。      袖が濡れては大変ですから。      同じように浮気で名高い      貴方のお言葉は心に掛けますまい。         袖を涙で濡らすのは嫌ですから。  The sound of ripples on the shore  Ne’er fails at Takashi;  My sleeves all worn and wet with tears  Should surely prove to thee,  I, too, will constant be.        TE...
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  (70) さびしさに  宿を立ち出でて  ながむれば         いづこも同じ  秋の夕暮れ                (良暹法師) (歌意)寂しさがつのり     家から出てきて辺りを眺めてみると     どこも皆同じで、     侘しい秋の夕暮れだ。   The prospect from my cottage shows   No other hut in sight;   The solitude depresses me,   Like deepening twilight   On a chill autumn night.         THE PRIEST RYOZEN  作者の良暹法師については、天台宗の僧侶だったことしか分からないそうです。秋の夕暮れ特有の寂しさを歌っていますが、結句を「秋の夕暮」で体言止めとすることで余韻を残しています。この手法は、定家が好んだところだそうです。
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  (69)嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は       龍田の川の 錦なりけり                                                  (能因法師)     (歌意)激しい風が吹き、                     三室山のもみじの葉が散り、      竜田川の川面は                     ちょうど錦織のようだなあ。     The storms, which round Mount Mimuro     Are wont to howl and scream,  Have thickly scattered maple leaves  Upon Tatsuta’s stream;  Like red brocade they seem.                                               THE PRIEST NOIN 作者の能因法師は、歌枕オタクだったそうです。紅葉の名所である三室山と龍田川の二つの歌枕が入っているが、現実に三室山で散った紅葉が龍田川に浮かぶことは距離的にも考えられない。なので写真は、京都北野天満宮の風景で創った創作風景です。
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  (68) 心にも あらでうき世に  ながらへば       恋しかるべき 夜半の月かな                  (三条院)     (歌意)不本意にも、つらいこの世に       生きながらえていたなら、       きっと恋しく思うに違いない。       この美しい夜更けの月を。   If in this troubled world of ours   I still must linger on,   My only friend shall be the moon,   Which on my sadness shone,   When other friends were gone.           THE RETIRED EMPEROR                  SANJYO 三条天皇は、目の病気を理由に藤原道長から退位を迫られ、在位わずか五年で道長の孫の後一条天皇に位を譲り三条院となった。この歌は退位を決意したときに詠んだ歌だそうです。 その後、一年ほどで死去したので、このときに観た月が最後の月だったかもしれない。
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  (67) 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に     かひなく立たむ 名こそ惜しけれ               (周防内侍) (歌意)春の夜の夢のような、     かりそめの腕枕のために     つまらなく立ってしまう浮き名が、     なんとも口惜しいことです。  If I had made thy proffered arm  A pillow for my head  For but the moment’s time, in which  A summer’s dream had fled,  What would the world have said?       THE LADY-IN-WAITING SWO 「春の夜の夢」は、はかないものをさす言葉としてよく使われます。また、この歌の「かひなく」は「甲斐なく」と「かひな」(腕のこと)が掛けられています。ある夜、周防内侍たちが宮中でおしゃべりをしていたとき、眠くなったので、「枕があればいいのに」とつぶやいた。これを聞いた大納言忠家が「これを枕に・・」と腕(かいな)を御簾の下から差し入れた。そこで周防内侍はこの歌を返し、やんわりと断ったそうです。写真の御簾は、すだれ資料館(大阪府河内長野市)で撮影。
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  (65) 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを      恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ                  (相模) ( 歌意)あなたを恨み悲しんで     涙で乾く間もない袖でさえ     朽ちそうなのに、恋の浮名のために     私の評判まで廃れてしまうのは、     とても惜しまれる。   Be not displeased. but pardon me,   If still my tears o’erflow;   My lover’s gone, and my good name,   Which once I valued so,   I fear must also go.             SAGAMI 一条天皇の皇女・脩士内親王に仕えた作者は、相模守と結婚したため相模という女房名で呼ばれた。写真は、涙を雨で表現していますが、激しい雨に打たれて耐えている椿の花と、浮名のために朽ちてしまいそうな作者の気持ちを対比させています。   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (66)   もろともに あはれと思へ 山桜     花よりほかに 知る人もなし            (前大僧正行尊 )   (歌意)お互いに「懐かしい」と      思っておくれ山桜よ。       桜の花のお前より他に、      私の心を本当に知ってくれる者は      いないのだから。      In lonely solitude I dwell,      No human face I see;      And so we two must sympathize.      Oh mountain cherry tree;      I have no friend but thee.          THE ARCHBISHOP GYHOSON 大峰山麓の奥吉野から眺めた山々 行尊が修験道の聖地といわれる大峰山で、修行中に出会った桜に愛おしさを感じて詠んだ歌です。 写真は厳しい山中に咲く山桜の...
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  (64) 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに         あらはれわたる 瀬々の網代木             (権中納言定頼)    (歌意)夜が明け始める頃、       宇治川に立ち込めた霧が       途切れ途切れに晴れて       しだいに浅瀬の網代木が       現れて来たよ。      So thickly lies the morning mist,      That I can scarcely see      The fish-nets on the river bank,      The River of Uji,      Past daybreak though it be.            THE ASSISTANT IMPERIAL            ADVISER SADAYORI 第60首の小式部内侍に対して嫌味を言ったこの歌の作者・藤原定頼であるが、実は小式部とは恋仲で、彼女の代作疑惑を晴らすために、一芝居打ったのではないかとの説があるようです。 朝霧が出ることで有名な宇治川ですが、発生する好条件を狙って撮影に行ったけど、無駄足になったことが何度もありました。
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(63)  今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを          人づてならで いふよしもがな                                                 (左京大夫道雅)   (歌意)今はただ、あなたへの思いを     諦めてしまおうということだけを     人づてではなく、                 直接にお伝えすることができる                 方法があれば良いのになあ。           If we could meet in privacy,     Where no one else could see,     Softly I’d whisper in thy ear     This little word from me—     ‘I’m dying, Love,for thee.’        THE SHINTO OFFICIAL              MICHIMASA.OF THE LEFT SIDE              OF THE CAPITAL 左京大夫道雅(藤原道雅)は、藤原道隆と第54首の儀同三司母との子です。道雅は伊勢斎宮の役目を終えて京に戻っていた三条院の皇女、当子内親王と恋仲になり密通していた。その噂を聞いた三条院は激怒し、二人の仲は引き裂かれ、当子内親王は出家した。そのような時にこの歌は詠まれたのです。遠く離れた人を想う気持ちを雲海の風景で表現しました。
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(62) 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも         よに逢坂の 関はゆるさじ                 (清少納言)      (歌意)夜が明けないうちに      鶏の鳴き真似をして         騙して通ろうとしても、                     私の心の逢坂の関は、         決して通しはしませんから。                       Too long to-night you’ve lingered here,        And, though you imitate        The crowing of a cock,’twill not        Unlock the tollbar gate;        Till daylight must you wait.                                                               THE LADY SEI 清少納言は「枕草子」の作者で、一条天皇の中宮定子に仕えた。この歌は、藤原行成に対して中国の「史記」の故事を踏まえて詠んだ歌です。ある夜、宮中で行成が清少納言と話し込んでいたのにそそくさと帰ってしまい、翌朝「鶏の鳴き声に催促されて帰った」と言い訳の手紙を寄こしたので、清少納言は「鶏の声とは函谷関のことでしょう」と返すと、行成は再び「逢坂の関です」と返してきた。そこでこの歌を詠んだそうです。 函谷関とはウィキペディアによると 『史記』に記された、戦国四君のひとりである斉の猛嘗君の故事「鶏鳴...
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(61) いにしえの 奈良の都の 八重桜      今日九重に にほひぬるかな              (伊勢大輔) (歌意)昔の奈良の都の八重桜が、     今日は、この九重の宮中で     美しく咲き誇っていることですよ。  The double cherry trees, which grew  At Nara in past days,  Now beautify this Palace, and   Their blossoms all ablaze  Perfume the royal ways.            THE LADY ISE                伊勢大輔も中宮彰子に仕えたうちの一人で、紫式部の後輩です。奈良から京都の宮中に八重桜が届いた時に、受け取る役目の紫式部からその役を譲られ、また道長から一首詠むように命じられ即興で詠み、道長にも認められたそうです。 撮影のナラノヤエザクラは遅咲きで、色々と探し周り、最も見頃の時期を狙って何度も奈良公園へ足を運び撮影したものです。
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  (60)  大江山 いく野の道の 遠ければ      まだふみも見ず 天橋立             (小式部内侍)     (歌意)大江山を越えて                       生野を通る道は遠いので、        天橋立に足を                       踏み入れたこともないですし、           母からの手紙も                       見てはいないのです。                     So long and dreary is the road,      That I have never been      To Ama-no-Hashidate;      Pray, how could I have seen      The verses that you mean?                                         LADY-IN-WAITING                                                  KO-SHIKIBU 母の和泉式部と共に中宮彰子に仕え、その母に対して小式部と呼ばれ...
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  (59) やすらはで  寝なましものを  さ夜ふけて     かたぶくまでの 月を見しかな                 (赤染衛門) (歌意) 貴方を最初からあてにしてなかったら、    ためらわずに寝てしまったでしょうに。    貴方を待っていたばかりに夜が更けて    西の空に傾くまでになった    月を見たのですよ。   Waiting and hoping for thy step,   Sleepless in bed I lie,   All through the night, until the moon,   Leaving her post on high,   Slips sideways down the sky.            AKAZOME EMON 藤原道隆と道長の兄弟は、それぞれの娘を一条天皇の妃とし、覇権争いをしていた。この歌の作者の赤染衛門は、中宮彰子に仕えていた。この歌の「待たしていた男」は道隆で、約束を信じて待ち続けたのは歌人の姉妹。その姉妹の代わりに詠んだのが、このぼやきの一首です。