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10月, 2021の投稿を表示しています
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(57)  めぐりあひて  見しやそれとも            わかぬ間に   雲がくれにし   夜半の月かな                 (紫式部) (歌意) 久し振りに巡り合ったのに    その人かどうか見分けも             つかないうちに 帰ってしまった。    すぐに雲に隠れてしまった    夜中の月のように。     I wandered forth this moonlight night,    And some one hurried by;    But who it was I could not see,—    Clouds driving o’er the sky    Obscured the moon on hight.              MURASAKI SHIKIBU  作者が紫式部なので、ほとんどの人がこの歌は恋の歌だと思うけど、これは女友達を思って詠んだ歌だそうです。 つもる話があったのに、月が雲に隠れてしまうように早々と帰ってしまった友達との別れを惜しんで詠んだ歌だということです。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (58) 有馬山 猪名の笹原 風吹けば        いでそよ人を 忘れやはする                                                   (大弐三位) (歌意) 有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと    「そよそよ」と笹の葉が鳴るように      あなたが風を吹かしてくれれば            私はいつでもなびきます。    ...
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  (55)   滝の音は 絶えて久しく なりぬれど      名こそ流れて なほ聞こえけれ              (大納言公任)        (歌意)大覚寺に伝わる滝の音は、      水が涸れて聞けなくなってから      久しくなったけれども、      その名声だけは世に流れ伝わって      今も聞こえているのだなあ。         This waterfall’s melodious voice   Was famed both far and near;   Although it long has ceased to flow,   Yet still with memory’s ear   Its gentle splash I hear.            THE FIRST ADVISER          OF STATE KINTO 平安時代に最も権力を持った藤原道長と同い年のこの歌の作者・藤原公任は、道長に 政治ではかなわなかったため、芸術方面で対抗心を燃やしていたそうです。この歌は、道長のお供として大覚寺を訪れたとき、庭にある枯れた滝を見て詠んだ一首だそうです。公任たちが訪れたときは、滝殿に水が溢れていたかつての滝の流れや音を思い描くことは出来たかも知れないが、現在の大覚寺に残っている滝跡では、まったく想像が出来ませんでした   。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※ ※ ※※※※※※※ (56) あらざらむ この世のほかの 思ひ出に      今ひとたびの 逢ふこともがな               (和泉式部) (歌意) 私はまもなくこの世にはいないでしょう。              あの世への思い出に、       もう一度何とかしてお逢いしたいものです。     My life is drawing to a close,     I cannot longer stay,     A pleasant me...
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  (53) 嘆きつつ  ひとり寝る夜の  明くる間は       いかに久しき  ものとかは知る                                             (右大将道綱母) (歌意)あなたが来ないことを嘆きながら        独り寝をする夜の開けるまでの間が                どんなに長いものか       あなたは、ご存知ないでしょうね。     All through the long and dreary night    I lie awake and moan;    How desolate my chamber feels,    How weary I have grown     Of being left alone!           THE MOTHER OF MICHITSUNA,           COMMANDER OF      THE RIGHT IMPERIAL GUARDS 藤原兼家との子供、道綱を産んで間もなく兼家は三晩続けて来なかった。調べさせたところ、新しい女性の家に通っていたそうです。兼家が数日してからやって来たとき、道綱母は門をなかなか開けなかったところ「待ち疲れた」と言われたので、その直後に、枯れかけた菊の花を添えて送ったのがこの歌です。嫉妬と怒りに燃えた歌のようです。   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (54) 忘れじの  行く末までは ...
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  (52)  明けぬれば  暮るるものとは  知りながら       なほ恨めしき  朝ぼらけかな             (藤原道信朝臣)        (歌意)夜が明ければ、  やがて日が暮れ     あなたと逢えるものだと              わかっているが、     それでもやはり                 恨めしい夜明けなのだなあ。     Although I know the gentle night     Will surely follow morn,     Yet, when I’m wakened by the sun,     Turn over, stretch and yawn—     How I detest the dawn!                THE MINISTER          MICHINOBU FUJIWARA 京都大原の雪景と宇治市源氏物語ミュージアム展示の牛車を合成 90年代のヒットソングで「別れの朝」という唄がヒットしました。ちょうどその曲の情景のようです。ただその曲は、次はいつ逢えるか分からない寂しさがあったと思うけど、この歌は毎日逢えると分かっていても別れるのが寂しいので、夜が明けないで欲しいと詠っているのです。 写真は、凍てつくような寒空の中での辛い別れの朝を表現しました。
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   (50) 君がため 惜しからざりし 命さへ     長くもがなと 思ひけるかな                (藤原義孝)    (歌意) あなたへの想いが叶うなら、        惜しくもなかったこの命さえ        それが叶った今となっては、        もっと長くあって欲しいと           思うようになったのですよ。    Death had no terrors, Life no joys,          Before I met with thee;          But now I fear, however long          My life may chance to be,        ’Twill be too short for me!             YOSHITAKA FUJIWARA  逢う前と逢ってからの気持ちの変化を歌ってます。逢ってみて想いが通じると、この幸せが少しでも長く続いて、長生きしたいという気持ちに変わったようです。上の写真は、夕日の撮影に行った時、三脚を立てようとした足元のタンポポに部分的な光が当たっているのを見て、何か感ずるものがあったから撮ったものです。タンポポの綿毛の、いつまでも生き続けようとして飛び散って行く姿が、長生きをしたいと想うこの作者の心情に重なっているような気がします。ところが作者の藤原義隆は、幼い子供を残し、二十一歳で天然痘にかかって亡くなったそうです。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※   (51)  かくとだに えやはいぶきの さしも草     さしも知らじな 燃ゆる思ひを              (藤原実方朝臣)  ( 歌意) このように、       ...
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  (49)  みかきもり  衛士のたく火の  夜は燃え        昼は消えつつ 物をこそ思へ              (大中臣能宣朝臣)   (歌意)宮中の門を警護する      衛士の焚く篝火が      夜は燃え、昼間は消えてるように      私の思いも夜は激しく燃え、      昼は消え入りそうに      物思いに沈んでいるよ。      My constancy to her I love      I never will forsake;      As surely as the Palace Guards      Each night their watch-fire make      And guard it till daybreak.          THE MINISTER YOSHINOBU,            OF PRIESTLY RANK 宮廷を守る衛士(今で言うところのガードマン)が、昼間も夜も一日中相手を想う歌です。燃え上がる炎で情熱を表現しています。 参考にしているPHP文庫・吉海直人氏監修の「こんなに面白かった百人一首」では、『更級日記』の中に、衛士と姫君のラブストーリーが書かれているとしています。それをそのまま引用すると、 武蔵国から衛士としてやって来た男が「郷里に帰りたいなぁ」と愚痴を吐いていたところ、帝の姫君がこれを聞いていた。そして「私をお前の故郷へ連れて行っておくれ」という。男は恐ろしく思いつつも、ついに姫君を故郷に連れ去った。ところが、姫君のお香で足がつき、すぐ追手に見つかってしまう。しかし姫君は「帰らない」の一点張り。困った帝はとうとう折れて、姫君と男に武蔵野を預け、立派な屋敷を建てて住まわせたという。   よほどカッコいい衛士だったのかな? しかし、呟いて見るものですねぇ。        
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(48) 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ       くだけて物を 思ふころかな                 (源 重之)   (歌意)風が激しく吹いて、      岩を打つ波が砕け散るのに      岩は何ともない。      私だけが乱れて恋の想いに      悩んでいるのですよ。     The waves that dash against the rocks  Are broken by the wind  And turned to spray; my loving heart  Is broken too, I find,  Since thou art so unkind.         SHIGEYUKI MINAMOTO     この歌は、強い波が打ち寄せても少しも動じない岩を冷淡な「女性」に例え、その岩に打ちつける波は、砕け散ってしまう「自分」の心に例えたものだそうです。相手のつれない態度を例えた片思いの心情風景です。
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  (46)  由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え       ゆくへも知らぬ 恋の道かな               (曾禰好忠) ( 歌意)   由良の瀬戸を通って行く船頭が、      櫂がなくなり         行方も知らずに漂うように      先のわからぬ私の恋だなあ。  The fishing-boats are tossed about,  When stormy winds blow strong;  With rudder lost, how can they reach  The port for which they long?  So runs the old love-song.            YOSHITADA SONE 由良川の河口(京都府宮津市)小舟はハメ込み 舵を失くして漂う小舟の不安感と、先の見えない恋の行方の情景を表現。作者の曽爾好忠は、自信過剰の変わり者だったそうです。歌会に招待もされていないのに現れ、「ここに集まっている方々よりも、私の方が歌の才能がある。どうして私を招待しないのだ」と言ったところ、つまみ出されてしまったそうです。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (47)  八重むぐら 茂れる宿の さびしきに      人こそ見えね 秋は来りけり                (恵慶法師)     (歌意)葎や雑草がはびこっている      寂しい住まいに      誰も訪ねて来る人はいないけど、      秋だけは来たのだなあ。   My little temple stands alone,   No other hut is near;   No one will pass to stop and praise   Its vine-grown roof, I fear,   Now that the autumn’s here.             THE PRIEST YEGYO かつては豪邸だった河原院(河原左大臣 源 融の邸宅)は、彼の死後八十年...
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  (44)  逢ふことの  絶えてしなくは  なかなかに      人をも身をも 恨みざらまし               (中納言朝忠) (歌意)もし逢瀬が全くなかったならば、      かえってあなたのことも     私自身のことも、     恨まないでいるでしょうに。   To fall in love with womankind   Is my unlucky fate;   If only it were otherwise,   I might appreciate   Some men, wohm now I hate.             THE IMPERIAL ADVISER                ASATADA 手向山八幡宮(奈良市)の石灯籠 苔むした石灯籠の上に イチョウの葉と もみじの葉が すぐ側に落ちて いる のが、あたかも 男女の偶然の出会いかのように思える 。 ※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※ ※※※※※※ (45) 哀れとも いふべき人は おもほえで    身のいたづらに なりぬべきかな                (謙徳公)      (歌意)貴方に見捨てられた今、      私のことを可哀そうだと      言ってくれるはずの人も      思い浮かばないので、      このまま空しく      死んでしまうのかなあ。      I dare not hope my lady-love      Will smile on me again;      She knows no pity, and my life      I care not to retain,      Since all my prayers are vain.               PRINCE KENTOKU   哀れさを感じさせる 蓮の 枯れた 葉 作者の謙徳公は諡(おくりな)で、本名は藤原伊尹。相手の女性に冷たくされ、逢ってもくれなくなったことに対する嘆きの歌。そのことで人に可哀そうだと思われたいという...
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  (42) 契りきな かたみに袖を しぼりつつ      末の松山 波越さじとは              (清原元輔) (歌意) かたく誓いましたよね。      お互いに涙で濡れた袖を絞りながら。      あの末の松山を波が越すことが      ないのと同じように      決して二人の心は変わらないと・・       Our sleeves, all wet with tears, attest    That you and I agree    That to each other we’ll be true,    Till Pine-tree Hill shall be    Sunk far beneath the sea.           MOTOSUKE KIYOHARA    写真は浦富海岸(鳥取県)ですが、歌われている末の松山は宮城県多賀城市にあります。  海岸からは、かなり離れていて、そこまで波が超えることはありえない。 それで、男女の変わらぬ愛の誓の言葉に「末の松山」という枕詞がよく使われるそうです。多賀城市の「末の松山」に撮影に行ったところ、松は住宅街の側にあり、絵にするには難しいと思い上記の場所の写真にしました。また、「末の松山」から30メートルほどのところに、九十二首の歌枕「沖の石」もありますが、これもまた絵になり難い場所でした。 ※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※ (43) 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば       昔はものを 思はざりけり            (権中納言敦忠) (歌意) あなたと逢って    契りを交わした後の心と比べると    昔は物思いなどしていなかったのと    同じようなものなのだなぁ。  How desolate my former life,  Those dismal years,ere yet  I chanced to see thee face to face;  ‘Twere better to forget  T...
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  (40) 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は      ものや思ふと 人の問ふまで               (平 兼盛) (歌意)私の恋心を隠していたけれど、     とうとう堪えきれずに     顔色に表れてしまった。     恋に悩んでいるのかと     人に尋ねられるほどに。   Alas! the blush upon my cheek,   Conceal it as I may,   Proclaims to all that I’m in love,   Till people smile and say—   ‘Where are thy thoughts to-day?’               KANEMORI TAIRA      村上天皇が主催の恋を題材にした歌合のときに平 兼盛が詠んだ歌で、抑え切れずに溢れ出た想いを歌っています。中学生ぐらいの年頃でクラスメートの子に密かに恋心を抱いていたのを、友人に指摘され、隠しきれずに出てしまった想いのようなものを、モミジの色づきで表現しました。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※ ※※※※※ (41)   恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり      人知れずこそ 思ひそめしか               (壬生只見) ( 歌意) 恋をしているという私の噂が     早くも立ってしまった。     誰にも知られないようにひっそりと     思い始めたばかりだったのに。  Our courtship, that we tried to hide,  Misleading is to none;  And yet how could the neighbors guess,  That I had yet begun  To fancy any one?                  TADAMI MIBU 第40首の平兼盛と歌合せで勝負した一首だが、この歌 を詠んだ壬生只見が負けてしまった。どちらも優れた歌で、なかなか勝敗が決まらなかったが、村上天皇が兼盛の歌を小さく口ずさんだため、平 兼盛の歌の勝利と見なされたそうです。写真は、 伏せて...
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  (38)  忘らるる 身をば思はず 誓ひてし       人の命の 惜しくもあるかな                  (右近)   (歌意) 私のことを忘れられることは      なんとも思いません。      私を愛すると神に誓った      あなたの命が、神罰を受けて      失われるのではないかと      心配なのです。   My broken heart I don’t lament,   To destiny I bow;   But thou hast broken solemn oaths,—   I pray the Gods may now   Absolve thee from thy vow.                  UKON  作者は醍醐天皇の后・穏子に仕えていた。父が右近少将だったことから「右近」と呼ばれ、恋多き女性だったそうです。この歌では、今までは「愛してる」と何度も言ってくれてたのに、今や心変わりしてしまった男性に対して、憎しみではなく身の安全を祈っています。 写真は、首ごと散ってしまう「椿の花」の不吉さと、後方の「お 地蔵さん」で作者の心情を 表現しました。 ちなみにこの歌の相手の男性は、地位もあり歌人としても優れていて美男子だが女性にルーズだった藤原敦忠(43首の作者)だと考えられています。しかし、三十六歳の若さで亡くなっている。これは、敦忠の父・藤原時平が菅原道真を陥れた祟りで、それが一族に及んだと噂された。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (39) 浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど      あまりてなどか 人の恋しき             (参議 等) O    (歌意)茅が生える野の篠原の      「しの」という言葉のように      忍んでいるが、      どうにも忍びきれません。      どうしてこんなに      貴女が恋しいのだろう。      ’Tis easier to hide the reeds       Upon the moor that grow,    ...
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(36)  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを      雲のいづこに 月宿るらむ               (清原深養父) (歌意)  短い夏の夜は、      宵の口と思っているうちに      開けてしまったけれど      いったい雲のどの辺りに      月は隠れて留まっているのだろうか。  Too short the lovely summer night,  Too soon ’tis passed away;  I watched to see behind which cloud  The moon would chance to stay,  And here’s the dawn of day!          FUKAYABU KIYOHARA   清原深養父は清少納言の曽祖父で、純情で内気な性格だったそうです。平安時代の貴族は、月を眺めて夜を過ごすことが多かったようで、いい月だなあと思ってるうちに夜が明けてしまったと、夏の短い夜を惜しんでいる歌です。   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (37)  白露に 風の吹きしく 秋の野は     つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける              (文屋朝廉)   (歌意) 草の上に光る白露に      風が吹き付ける秋の野では      糸を通していない真珠の玉が      散っていくようだなあ。   This lovely morn the dewdrops flash   Like diamonds on the grass—   A blaze of sparkling jewels! But   The autumn wind, alas!   Scatters them as I pass.             ASAYASU FUNYA 露の透明感は表現できてると思いますが、躍動感に欠けてます。これは、風が吹いて飛び散る寸前であって、それが吹き飛ばされる情景を、紐に通されていた水晶玉の糸が切れて散らばっていく様子をダブらせて想像してみてください。
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(35)  人はいさ 心も知らず ふるさとは                      花ぞ昔の 香ににほいける               (紀貫之) (歌意) 貴方はさあ、  心変わりしておられるか    どうか分かりませんが    昔馴染みのこの里では、    梅の花が昔と変わらずに             良い香りを 漂わせて  咲いていますよ。      The village of my youth is gone,      New faces meet my gaze;      But still the blossoms at thy  gate,      Whose perfume scents the ways,      Recall my childhood’s days.                TSURAYUKI KI 長谷寺(桜井市)は花のお寺として有名で、「貫之梅」が植えられているが、 白い梅が枯れてしまって現在は紅梅になっている。 貫之が長谷寺にお参りするたびに泊まっていた宿があり、暫く行かなかったことで、 そこの主人に「今も変わらず宿はありますのに」といやみを言われた。それに対して、宿の主人と違って、「ここの梅だけは以前と変わらず咲き匂って、私を迎えてくれているよ」と 素直に歓迎してくれてると 詠んだのです。写真から梅の香りを感じ取ってください。
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  (34)  誰をかも 知る人にせむ 高砂の     松も昔の 友ならなくに              (藤原興風)   ( 歌意)年老いた私は、いったい誰を      友としたらいいのだろう。      長寿で知られている      高砂の松でさえ、         昔からの友ではないのに。                 Gone are my old familiar friends,          The men I used to know;        Yet still on Takasago beach      The same old pine trees grow,        That I knew long ago.               OKIKAZE FUJIWARA                        高砂の松は、高砂市(兵庫県)の高砂神社にある黒松と赤松が一つの根から生えてる「相生の松」のことで、現在の松は五代目だそうです。 歌は、老いて行くことの孤独を暗い情景で詠んでいますが、高砂といえばおめでたいイメージなので、年老いてもこの先希望の持てるような明るい情景の中に孤独感をも表現しました。
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 ( 33)  ひさかたの 光のどけき 春の日に      しづこころなく 花の散るらむ                (紀友則)    (歌意)日の光がのどかな春の日に、       落ち着いた心もなく       桜の花はどうして       急いで散っていくのだろう。   The spring has come, and once again   The sun shines in the sky;   So gently smile the heavens, that   It almost makes me cry,   When blossoms droop and die.              TOMONORI KI 穏やかな春の光が射す土塀と満開の桜を合成 毎年春になると、さくらの開花情報がながれ、桜前線に沿って咲き、また散って行く姿は儚く感じるものです。紀友則は三十六歌仙のひとりで、古今集には六十四首も選ばれており、その選者でもありながら完成前に亡くなってしまったそうです。 ゆったりとした、のどかな春の日に散り急ぐ桜の花を嘆いた歌です。土塀に落ちる影と土の色で穏やかな春の情景が表現できたと思います。
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(32)  山川に   風のかけたる  しがらみは                    流れもあへぬ   もみぢなりけり                  (春道列樹) (歌意)山あいを流れる川に     風がかけ渡した「しがらみ」は、     流れきれずに溜まっている     もみじの葉だったよ。  The stormy winds of yesterday   The maple branches shook;  And see! a mass of crimson leaves  Has lodged within that nook,  And choked the mountain brook.           TSURAKI HARUMICHI この歌の情景はすぐにイメージができたけど、落葉したばかりの葉が綺麗な形で溜まっている場所を見つけるのはなかなか困難なことです。この歌は「志賀の山越え」で詠んだとされているので、京都から大津への山越えの道だと思うのですが、意外と身近なところで撮ることが出来ました。春道列樹が山越えをしてるとき、細長い川に溜まった目を奪われるほど美しい紅葉の風景に出会ったときの歌です。